陽気な音色で私たちを魅了するウクレレ。ハワイの青い空や燦燦と降り注ぐ太陽を思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。
しかし、その歴史はハワイの明るいイメージとは少し異なる背景をたどります。
ポルトガルから持ち込まれた楽器を元に、ハワイで独自の変化を遂げたウクレレ。本記事では、誕生の背景から現代におけるウクレレの多様な演奏スタイル、そして世界中から愛される理由まで、その魅力を紐解いていきます。
ウクレレの誕生:起源と初期の歴史
ポルトガルから持ち込まれたウクレレの原形とも言える楽器とは、どのようなものだったのでしょうか。
そして、ウクレレが、ハワイの人々に広がるのに貢献した人物や文化的影響についてみていきましょう。
ウクレレの起源:ポルトガルからハワイへ
ウクレレは、その可愛らしい見た目と明るい音色で人気の楽器ですが、実はハワイ発祥ではありません。19世紀後半、ハワイ王国カラカウア王の時代に、ポルトガルから持ち込まれた「ブラギーニャ」という楽器が起源とされています。
ブラギーニャは、ポルトガル領マデイラ諸島で弾かれていた小型のギターのような楽器でした。ハワイの人々は、その音色と手軽さに魅了され、ブラギーニャを改良して、独自の楽器を作り出しました。
それが「ウクレレ」の始まりです。ウクレレという名前は、ハワイ語で「飛び跳ねるノミ」という意味で、その演奏スタイルから名付けられたと言われています。ハワイの人々の間で瞬く間に広まったウクレレは、今では世界中で愛される楽器となっています。
ちなみに、インドネシアに持ち込まれたブラギーニャは「クロンチョン」、ブラジルに持ち込まれたブラギーニャは「カヴァキーニョ」として根付いています。
初期のウクレレ職人とその影響
ウクレレは、ポルトガル発祥の楽器「ブラギーニャ」を起源とし、19世紀後半にハワイで誕生しました。ハワイ王国最後の国王カラカウアは音楽をこよなく愛し、ウクレレ奏者を宮廷に招いたことから、ウクレレはハワイの人々に広く愛されるようになりました。
20世紀初頭には、ハワイ出身の演奏家や作曲家たちによって、ウクレレは世界中に広まりました。
特に、マヌエル・ヌネスやヨナシブ・ケアウラナといった初期のウクレレ職人と演奏家たちは、ウクレレの演奏技術を向上させ、独自の音楽スタイルを確立することで、ウクレレが世界的に認められる楽器となる礎を築きました。
※カラカウア:1836年11月16日~1891年1月20日(在位:1874年2月12日~1891年1月20日)
ウクレレの初期の普及と文化的影響
陽気な音色と手軽さから瞬く間にハワイの人々を魅了し、ハワイの伝統音楽に欠かせない存在となりました。
20世紀初頭には、ハワイの音楽や文化と共にアメリカ本土にも広まり、一大ブームを巻き起こします。
ハワイのイメージと結び付けられたウクレレは、楽園の象徴として、音楽だけでなく、ファッションや映画など、様々な文化にも影響を与えました。
ウクレレの進化:20世紀初頭の変遷
ここでは、20世紀初頭のウクレレの変遷について解説します。
1.ウクレレのデザインと構造の進化
2.20世紀初頭のウクレレブーム
3.ウクレレの音楽ジャンルへの影響
以上の3点についてみていきましょう。
ウクレレのデザインと構造の進化
当初はブラギーニャと同じ木材が使われていましたが、ハワイで豊富に入手できたコア材が使われるようになり、独特の明るい音色が確立されました。
また、初期のウクレレは丸みを帯びた形状でしたが、1920年代に入ると、より音量と演奏性を高めるために、ボディが大きくなり、現在主流となっているパイナップル型が登場しました。
このように、ウクレレは時代と共に進化を遂げ、その特徴的なデザインと構造は、現在も世界中の人々を魅了し続けています。
20世紀初頭のウクレレブーム
1900年代初頭、ハワイの楽器ウクレレは、太平洋を横断し、アメリカ本土で大ブームを巻き起こします。1915年のサンフランシスコ万国博覧会でのハワイアン音楽とウクレレの演奏は、人々を魅了し、その人気に火をつけました。
当時、ウクレレは「小さなギター」として紹介され、その可愛らしい見た目と手軽さも相まって、瞬く間に全米に広がっていきました。
ハワイの音楽や文化と共に、ウクレレはアメリカのポピュラー音楽シーンにも大きな影響を与え、その後の音楽史に確かな足跡を残します。
ウクレレの音楽ジャンルへの影響
ハワイの伝統的な楽器であるウクレレは、その軽やかな音色で多くの音楽ジャンルに影響を与えます。
1900年代初頭にアメリカ本土へ渡ると、ジャズミュージシャンの間で人気を博し、ハワイアンミュージックの枠を超えた演奏に活用されるようになりました。
その後も、そのポータブルなサイズと明るい音色は、フォークソングやロックンロールなど、様々なジャンルの音楽に取り入れられてきました。
ウクレレの黄金時代:1920年代から1940年代
ウクレレの黄金時代は、1920年代から1940代におとずれます。この時代にどのようなことがおこったのでしょうか。以下の3点について解説しています。
1.ジャズとウクレレの結びつき
2.映画とウクレレ:ハリウッドの影響
3.ウクレレの著名な演奏家と彼らの功績
ジャズとウクレレの結びつき
ウクレレは、ポルトガル発祥の楽器ですが、20世紀初頭にハワイで独自の発展を遂げ、ハワイアンミュージックの顔となりました。
一方、ジャズは19世紀末~20世紀初頭にアメリカで生まれ、世界中に広がった音楽です。一見関係なさそうな両者ですが、1950年代にハワイ出身のジャズギタリスト、ハーブ・オオタがウクレレを用いてジャズを演奏したことで、新たな音楽の形が生まれました。
その後、オオタ氏の影響を受けた多くのミュージシャンが登場し、ウクレレはジャズの世界でも市民権を獲得していくことになります。今日では、ウクレレの優しい音色で奏でられるジャズは、多くの人を魅了しています。
映画とウクレレ:ハリウッドの影響
ウクレレの軽やかな音色は、多くの映画音楽にも採用され、その魅力を世界中に広めました。1930年代のハワイを舞台にしたミュージカル映画では、陽気なウクレレの演奏シーンが人気を博し、一躍世界的なブームを巻き起こしました。
その後も、「ローマの休日」や「ブルーハワイ」といった名作映画の中でウクレレが効果的に使用され、その優しい音色が人々の心を和ませてきました。
近年では、「はじまりのうた」や「リメンバー・ミー」といった映画でもウクレレが印象的に用いられ、再び注目を集めています。このように、ウクレレは映画音楽を通して、時代を超えて愛され続けているのです。
ウクレレの著名な演奏家と彼らの功績
ハワイ出身の伝説的なウクレレ奏者、ハーブ・オオタは、その卓越した演奏技術と音楽的才能でウクレレの地位向上に大きく貢献しました。
彼はウクレレをただの伴奏楽器ではなく、ソロ楽器としての可能性を広げ、数々の名曲を世に送り出しました。また、日本のウクレレ奏者、ハーブ・オオタJr.は、ハワイの伝統的な演奏スタイルを受け継ぎながら、ジャズやロックなどの要素を取り入れた独自の音楽性を確立し、幅広い世代にウクレレの魅力を伝えています。
ウクレレの復活:1960年代から1990年代
20世紀初頭に、アメリカ本土で大ブームを巻き起こしますが、1930年代に入ると、本土では少し人気が落ちていきます。
アメリカ本土で、ウクレレの人気が少し落ちていった原因は何なのかについてみていきましょう。
フォークリバイバルとウクレレ
19世紀後半にハワイに入ってきたブラギーニャは、瞬く間に人々を魅了し、ハワイ独自の音楽文化と融合してウクレレへと進化しました。
20世紀初頭には、ハワイの音楽や文化と共に世界中に広がり、特にアメリカ本土では一大ブームを巻き起こしました。
しかし、1930年代に入るとフォークリバイバルが起こり、ギターの人気が高まると共にウクレレは次第に影を潜めていきました。
ハワイアンミュージックの再評価
アメリカ本土では、ギターに押されてしまったウクレレですが、ハワイでは根強い人気を保ち続けていました。フラの踊りには欠かせない楽器というのも一因だと思われます。
そんなおり、1990年代後半からハワイアンブームが起こり、再び注目を集めました。
ブームに火を付けたには、革新的なアーティストの登場です。ジェイク・シマブクロやハーブ・オオタJr.の名があげられるでしょう。彼らは、ウクレレの可能性を大きく広げました。
新しい世代のウクレレアーティスト
ジェイク・シマブクロやハーブ・オオタJr.の登場は、伝統的なハワイアンミュージックにとどまらず、ジャズやロックなど様々なジャンルにも挑戦する姿は、多くの若者に影響を与え、ウクレレを学ぶきっかけとなっています。
近年では、インターネットを通じて世界中のプレイヤーと繋がり、新たな音楽を生み出す若い世代も現れています。伝統を継承しながらも、自由な発想でウクレレの魅力を発信する彼らの活躍は、今後のウクレレ界を担う重要な存在と言えるでしょう。
ウクレレの未来:これからの展望
ここでは、次のことについて解説しています。
1.技術革新とウクレレの新しい可能性
2.ウクレレとデジタル音楽の融合
3.ウクレレと日本の音楽文化
技術革新とウクレレの新しい可能性
ハワイ生まれのウクレレは、20世紀初頭に日本に伝わりました。当時はまだ珍しい楽器でしたが、その手軽さから徐々に広まりを見せ、戦後には多くの音楽家に愛されるようになりました。
近年では、伝統的な木製ウクレレだけでなく、カーボンファイバー製の耐久性に優れたものや、ピックアップを搭載しアンプに繋いで演奏できるものなど、技術革新によって様々なウクレレが登場しています。
持ち運びやすく、比較的習得しやすい楽器として知られるウクレレは、技術の進化とともに、さらに多くの音楽愛好家にとって魅力的な選択肢となりつつあります。
ウクレレとデジタル音楽の融合
ウクレレは、その軽快な音色で世界中の人々を魅了してきました。伝統的にはハワイアンミュージックの演奏に用いられてきましたが、近年ではその表現の幅を広げ、様々なジャンルの音楽に取り入れられています。
特に注目すべきなのが、デジタル音楽との融合です。ループペダルやエフェクターを用いることで、1台のウクレレで多彩な音色を作り出し、まるでバンド演奏のような厚みのあるサウンドを生み出すことが可能になりました。
YouTubeなどの動画サイトでは、そうした最新の演奏表現が人気を集めており、ウクレレの新たな可能性を示しています。
ウクレレと日本の音楽文化
ハワイ生まれのウクレレは、19世紀末に日本へ渡来しました。当時、楽器は高価で一部の人のものでしたが、ウクレレは比較的手頃な価格で親しまれました。
当初はハワイアン音楽の楽器として愛好されましたが、戦後は、高度経済成長期を経て、日本の音楽教育にも深く根付く存在となりました。
1950年代には、ハワイアンブームに乗って一大ブームが起こり、その後も著名な奏者の出現やメディアへの露出を通して、その人気は確固たるものとなっています。
1990年代には、手軽に始められる楽器として人気が再燃し、ウクレレ教室やサークルが全国各地に誕生しました。今では、老若男女問わず、多くの人々がウクレレの魅力に惹かれ、音楽を通じて豊かな時間を共有しています。
ウクレレは、世代や文化の壁を超えて人々を繋ぎ、笑顔と音楽で溢れるコミュニティを育んでいます。